あるブログからの引用である。
「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」
これは、1969年1月、東大の安田講堂に立てこもった全共闘の学生が、壁に書き残したものです。
この精神は、思想の左右を問わず心に響く何かがある、と今でも思っています。
ある人はこれを玉砕主義と言い、別の人は革命的敗北主義と言います。
が、私は違うと思います。
これも拒絶し、あれも拒絶し、そのあげくのはてに徒手空拳、孤立無援の自己自身が残るだけにせよ、私はその孤立無援の立場を固執する。
これは、私が当時好きだった高橋和巳の言葉ですが、右顧左眄せず、己の信条・信念を貫く、この心構えこそ世の中を変革する原動力になるのではないでしょうか。
私は、明治維新を前に倒れていった多くの志士たちに同じものを感じます。
革命が成功して、後に残ったのはずるいヤツらばかり、ほんとうに優れていた者ほど早く死んでいく。
私はそう思います。
「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」
青臭くてもいい。
こういう自己犠牲と使命感に満ち溢れた政治家が現れてほしい。
ジジイの独り言でした。
なお、「連帯を求めて孤立を恐れず」とは、谷川雁の言葉だそうです。
革命家から資本の側に転向した谷川は、以後、何も語りませんでした。
これもサムライ、そう思います。
古本屋で入手した評論集「原点が存在する」(現代思潮社版)にそれはあった。「工作者の死体を萌えるもの」の最終部分にあった。
から、実際の部分を引用してみることにする。
「連帯を求めて孤立を恐れず」は、まさにこの工作者(=社会主義運動の扇動者、オルガナイザーを指す)が大衆を組織する方法論について論じている評論「工作者の死体に萌えるもの」の最終部分にあった。(p.57)
大衆と知識人のどちらにもはげしく対立する工作者の群・・・・・・双頭の怪獣のような媒体を作らねばならぬ。彼等はどこからの援助を受ける見込みはない遊撃隊として、大衆の沈黙を内的に破壊し、知識人の翻訳法を拒否しなければならぬ。すなわち大衆に向かっては断乎たる知識人であり、知識人に対しては鋭い大衆であるところの偽善の道をつらぬく工作者のしかばねの上に萌えるものを、それだけを私は支持する。そして今日、連帯を求めて孤立を恐れないメディアたちの会話があるならば、それこそ明日のために死ぬ言葉であろう。