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 「往生絵巻」(芥川龍之介)

 今は昔、源大夫といふ者ありけり。
 心極めて猛くして、殺生を以って業とする。
 因果を知らずして、三宝を信ぜず。いわんや法師といふ者をばことさらに忌みてよらざりけり。

 この源大夫が郎党4、5人と鹿猟に出て、帰り道に村で講を行っているところに出くわす。何を思ったか、講を聞いてみようという気になって、「何か俺が納得するような話でもしろ」と講師に言うと、講師は「西に多くの世界を経て仏がまします。どんな罪をしたひとでも改心してそこで、阿弥陀仏といえば、極楽浄土に行ける。」という話をする。
 これを真に受けた源大夫は突然、家来たちに暇をだし、自らは「阿弥陀仏よ、おーいおーい」と叫びながら、西へ西へと川でも山でもかまわずにまっすぐに歩いていく。7日目に高き峰に西に海が見える所にたどりつき、そこの木に登って「阿弥陀仏よ、おーいおーい」と叫びながら死んでしまう。死後の彼の口からは蓮華の一葉が生えていたそうだ。
 (「讃岐の国の多度の郡の五位、法を聞きて即ち出家せる語 第14」

 どうして突然出家しようと思ったのか。誰でもそこに疑問を持つ。きっと芥川もそう思ったのであろう。「往生絵巻」を書いている。しかし、「くもの糸」のようないい解釈も「六の宮の姫君」の時のような丁寧な文献探しの時間もなかったようだ。生活の為にとにかく書かなければならなかったのかもしれない。
 今昔物語の筋そのままに戯曲仕立てにしたに過ぎない。なぜ出家したのかという問いには「いや、別段仔細なぞはござらぬ。唯一昨日の狩の帰りに、ある講師の説法を聴聞したとおもいなされい。その講師の申されるをきけばどのような破戒の罪人でも、阿弥陀仏に知遇氏奉れば浄土にいかれると申すじゃ。みどもはそのとき、体中の血が、一度に燃えたかとおもうほど、急に阿弥陀が恋しくなった」と答えている。まあ、そういうこともあるかもしれない。
by kimagurebito | 2006-05-20 17:09 | 古事記・日本書紀・今昔物語など | Comments(0)


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