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金環日食
 17日に山小屋から帰ってきて、18日に釣り、19日は会議をはしご、20日は奈良井へ行ってきて、ちょっと疲れてしまったが、21日は金環日食を見るために6時に起床。
 なにやら薄暗くて、これは日食のせいではなく、薄曇り。太陽の方向には雲。
 6時半を過ぎて、すでに太陽はかけ始めているはずだ。外へ出てみると、近所の人たちが手に手に遮光プレートを持って集まってきている。昨日、プレートを買おうとした人は在庫がなくて、どこへ行っても手に入らなかったそうだ。
「あつ、明るくなってきた」
 誰かがそう言って、続いて、「見えた」と叫ぶ。
 7時半、雲が切れた。ぎりぎりセーフである。
 きれいな金環。
 しばらく眺めていて、リングのバランスがくずれてきたら、また雲間に隠れた。それからは見えたり見えなかったりで、9時ごろに雲がなくなったころには日食は終わっていた。
 それにしても、金環日食のときだけ、雲が切れてくれるなんて、今年はいいことがあるかな。
# by kimagurebito | 2012-05-21 13:39 | Trackback | Comments(0)
歯ブラシは鉛筆を持つように
 やっと歯の治療が終わった。
 いつもの歯医者から定期検診の連絡が来て、診察に行ってきた。今年の初めのことだ。
 そこで、虫歯が見つかって、最初はたいしたことがないと言われたが、だんだん深刻になって、麻酔の量を間違えられて痛い痛い治療を受けた。
 ここのオーナーは、元同僚の高校時代の友人で、家から近いこともあって、世話になっていた。治療の腕だけでなく、経営の才もあったのか、新しい店を構えてそちらに力を入れるようになって、担当医師が変わった。
 その医師もまあまあの腕で満足していたが、その医師が独立したのか、辞めて、新しく入った若い女医だけになった。
 それがいけない。
「ちょっと麻酔がたらなかったみたいですね。こんなに奥までやられているとは思いませんでしたね」などと、弁解とおしゃべりばかりで、腕の方はどうも心もとない。
 その後、旅行中に激しい痛みに襲われて、旅を楽しむどころではなくなり、帰ってから近所に新しくできた割と評判のいい歯医者に駆け込んだ。
 尾木ママのようで、ちょっと気持ち悪いが、親切で腕も確かのようだ。
 歯の治療そのものは間違っていなかったようだ。ただ、アフターケアーが適切でなかったようで、歯茎の周りを覆ってくれたり、噛み合わせを調整してくれたりして、痛みはなくなった。
 その際に歯茎がすり減っていると指摘された。
 これは歯槽膿漏だと思っていたらそうではなくて、磨きすぎだということだ。歯磨き粉の中には研磨剤も入っているし、歯の表面は固いが歯茎はやわらかい。あまり強く磨くとすり減ってしまうそうだ。歯ブラシは握るのではなく、鉛筆のように持つといいそうだ。
 やってみたら、なるほどこんなにソフトにやればいいのだ。
 みなさんも歯磨きをゴシゴシ強くやってませんか。
# by kimagurebito | 2012-05-11 09:23 | Trackback | Comments(0)
ごみの話
資源ごみの回収の前に自転車にいっぱい空き缶を積んだおじさんが来て、アルミ缶だけを拾っていく。
 そういうことは違法だそうだが、今日はおばあさんがやってきた。
 私はそういうおじさんと違うのだ主張するように、「老人会の費用にするのです」と誇らしげに言っていた。
 へえー、子供会だけでなく、老人会もやっているのか。市もお金になるアルミ缶だけを持ってかれたら困るということなのか。
# by kimagurebito | 2012-05-08 10:55 | 環境 | Trackback | Comments(0)
松巨島
 日曜日、鎌倉街道を歩く会の例会。
 地下鉄妙音通から白豪寺へ向かいました。白豪寺は笠寺台地と呼ばれる高台にあります。昔はこの辺りは松巨島と呼ばれる島でした。寺からは鳴海の干潟が一望できる絶景の地でした。

 妙音通から舟に乗った気分で寺の横の今も残る街道の道を通って、東海道を横切るあたりで雨がぽつりぽつりと降ってきて、雨宿りを兼ねて、寿し辰という手打ち蕎麦の店できしめんを食べて帰ってきました。寿司はありません。うどんの専門店です。
 家に着いたら急に晴れてきました。
 まったく。
# by kimagurebito | 2012-05-07 20:47 | 鎌倉街道 | Trackback | Comments(0)
Aさん、倒れる
昨夜は大変であった。
 私たちが面倒を見ている障碍者Aさんのヘルパーから電話があって、Aさんが倒れた、部屋に入りたいけど鍵がない、警察に電話したら、そういうことはできない、と断られた、どうしたらいいかという。
 合鍵を持っている父親は岐阜に住んでいる。大家さんも合鍵を持っているが、Aさんの鍵は障碍者用に(手元で)操作できるように改造されていて、開けることはできない。
 消防署に電話した。(警察の管轄外ということらしいが、それなら警察からしかるべきところに連絡をするなり、対処方法を教えてくれるべきだと思うが)さっそく飛んできて、窓ガラスを破って中に入り、助け起こして救急車に乗せてくれた。
 どこも悪くなかった。本人の話によると、急に左手に脱力感を覚えて体を起こせなくなった。(足が退化していて、両手で体を支えている。)這っていくこともでんぐり返りもできない。
 それでも体のどこにも異常がない。緊急医の若い医者は精神的なものではないかという。Aさんは心臓が悪くて、その病院に通っているが、これは神経科の方ではないかと言う。
 ここは大学病院で、こういう場合、かかりつけの医者は、体全体を見てくれる町医者の方がいいと若い医者が言う。そこから必要なら総合病院へ行く、という今のスタイルだ。障碍者のように自分で判断なり行動が困難な場合、特にそうだと思う。
 入院がかなわなくなったので、再びAさんを家に戻し、破れた応急措置をし、家に帰ったのが午前2時、いろいろ考えさせられる1日であった。
# by kimagurebito | 2012-04-28 11:45 | 福祉 | Trackback | Comments(0)
「新聞・テレビはなぜ平気で『ウソ』をつくのか」上杉隆
 昨年のことである。
 9月9日午前、鉢呂氏は閣議後の記者会見で、野田首相、細野原発担当相とともに福島第一原発を視察したことを説明し、「残念ながら、周辺の町村の市街地は、人っ子一人いない、まさに死の町というかたちでした」と述べた。この「死の町」発言に対し、新聞・テレビがいっせいに「配慮を欠き、福島県が怒っている」と報じ、昼過ぎには野田首相も「不穏当な発言だ」と同調した。
 このことについて、死の町発言がどうして不穏当なのだ、とブログに書いた。
http://kimagurebi.exblog.jp/16846897/
 その後、ネットで私の疑問は明らかになったが、新聞やテレビは一切報道していない。どうしてなのか、それがこの本に書かれている。
 
 同日午後6時50分過ぎ、フジテレビが、失言関連のニュースを報じた最後に、鉢呂氏が記者団との懇談の場で、「防災服の袖を取材記者の服になすりつけて、「放射能をわけてやるよ」などと話している姿が目撃されている」と報じた。
 このあと共同通信が午後9時過ぎに「放射能」発言を加盟各社向けに配信。TBSは午後11時半からのニュースで、NHKは午後11時59分にネット配信し、翌日、朝刊には各紙がいっせいに「死の町」発言と「放射能」発言を大々的に採りあげる。そして、9月11日、鉢呂氏は辞任した。
 
 上杉氏が手に入れたICレコーダーやネットの情報を総合してみると、実際はかなり違う。
「死の町」発言に対して、福島県民は怒ってなどいない。
 もともとこの発言は、被災者や福島の市町村の首長から「中央の政治家には、われわれの町がゴーストダウンになってしまっているという認識が足りない。現実を直視して対応してほしい」と要望されて行ったものである。ゴーストタウンとは死の町のことであろう。
 鉢呂事務所には県民からの抗議など寄せられていない。むしろ激励の声が多数寄せられている。鉢呂氏は、大臣就任前から福島県に通い、放射線量の測定や、除去の徹底を訴えていた数少ない政治家の一人であった。菅氏や細野氏に年間被ばく量の上限を20ミリシーベルトから1ミリシーベルトに下げるように進言していたのも彼である。むしろ、彼がそういう政治家だからこそ、菅氏が脱原発発言をしたとたんに嵐のような菅降ろしが始まったのと同じような目にあったのではないかと勘繰りたくなる。
 
 記者団との懇談というのは、記者発表の後に彼を取り囲んだその場のことだが、「放射能、ついていませんか」「うつさないでくださいよ」と記者団がふって、鉢呂氏が「ほら」と冗談で応じた。
 それが、「放射能つけちゃうぞ」という発言になっていく。しかも、その囲みにいたのは、朝日、毎日、NHK、共同の4社のみである。第1報を報じたフジテレビはいなかった。
 
 残念なのは、日ごろマスコミの報道を非難して、真実の報道をうたい文句にしている赤旗も自ら取材することなく、(囲みに赤旗の記者もいなかった)彼らの尻馬に乗って、「鉢呂氏の暴言」を繰り返したことだ。
 
 日本では記者クラブというのがあって、記者会見はそこで一括して行われる。全ての記事がそこから発せられる。やがてなれ合いが生じて、現場に行かなくても(当番のようにして交代で行ったり)そこからメモをもらい、本社へ送る。それをデスクが適当に直して載せる。だから、外国のように記者が責任をもって書き署名することもない。

 こういう制度に対して、長野県知事だった田中康夫氏は「脱・記者クラブ宣言」をし、民主党がまだ理想に燃えて政権をとりたての頃、岡田克也氏は記者クラブ解放を申し入れていたが、今はどうなったんだろう。

# by kimagurebito | 2012-04-23 12:01 | 本の紹介 | Trackback(1) | Comments(1)
地下鉄でのちょっとしたトラブル
入り口に丸くて大きな体の若い男が音楽を聴きながらノートを広げて立っていた。何か資格取得の勉強をしているようであった。
 次の駅で入ってきた客はじゃまな男の脇をすり抜けるようにして中へ入った。
 精悍な体つきの若い男が丸い男をぐいと押しのけた。
 丸い男が「何をするんですか」と抗議した。
 精悍な男は、丸い男のイヤホンを引っこ抜き、そこは邪魔だから奥へ入ってほしいだけだよ、と答えた。
 丸い男が私を見て、ねえ、ひどいことをしますね、と言いたそうな目で笑いながら、少し横の私の方へ移動した。
 同意しかねて、肩をすくめて、精悍な男を見た。
 仕方ないですよね、といいたげに笑ってよこした。私も苦笑いした。
 さて、どちらの味方をすべきだったのか?
# by kimagurebito | 2012-04-22 15:48 | Trackback | Comments(1)
 山小屋
 ようやく木曾の雪が解け始めた。
 それでも用心の為にチェーンを乗せて、(私の車はスタッドレスなどというタイヤを付けていない)初めて山小屋へ向かった。
 周りの雪はまだ積もっていて、家に入るのに雪かきが必要であったが、小屋は無事であった。煙突も物置も健在であったし、水道もパンクしていなかった。

 
 今年は何やかやと雑事が重なって、3泊してすぐ帰ってきたが、名古屋はすっかり春になっていた。出がけに盛りであったチューリップの花びらは落ちそうで、後ろのつつじがほころび始めている。手前の沈丁花は枯れて垂れ下がっており、新しい若葉が出ていた。
 この時期、季節の移り変わりが本当に早い。

# by kimagurebito | 2012-04-18 22:17 | Trackback | Comments(0)
介護に追われて
 名古屋駅の座座で、卒業生たちと飲んだ。退職後、外国人に日本語を教えているというMさんも参加した。両親が認知症で、その介護の合間をぬっての参加だ。
 卒業生たちがにぎやかに談笑している傍らで、私たちは介護の話を愚痴っていた。幸いにも(?)私の両親は早くに亡くなっているが、妻の両親は健在である。認知症の義父は90歳を超えて、おばあちゃんが面倒を見ている。
 そんなおばあちゃんの息抜きをさせてやろうと、義父の姉妹に留守を頼んで、一昨日、1泊2日で有馬温泉に連れて行った。上機嫌であった。宿では足腰が不自由で、せっかくの温泉を楽しむことはできなかったが、久しぶりにぐっすり寝られたと言っていた。
 ところが、帰ってみると、おじいちゃんが荒れ狂いはじめた。自分を置いて、おばあちゃんが出かけたことが許せないらしい。もう、旅行には出かけないと、おばあちゃんは言い、健康でいつまでも生きているおじいちゃんを恨んで、おばあちゃんの精神は不安定である。
 困ったものだ。
# by kimagurebito | 2012-04-12 13:09 | 福祉 | Trackback | Comments(0)
 お寺と税金
 今朝の新聞に「宗教法人なぜ非課税」という特集が組まれている。
 たまたまか、八事山興正寺のもめ事も載っている。寺は尾張徳川家の祈願所として、或いは中京大学の敷地の所有者として、よく知られている。寺は他にも借地をたくさん持っていて、そこの住民との借地料をめぐる争いである。その是非はともかく、大変なお金持ちには違いない。
 一昨日、鎌倉街道を歩く例会で、高辻から妙音通を歩いたが、宗円寺というお寺があった。角に古い地蔵と院と印塔があって、応安の時代(1368~1375)のものという、そんな由緒あるお寺だが、今はマンションの中にあって、なかなか見つからない。近くにも由緒あるお寺が幾つかあるが、今も広大な敷地が残って、駐車場などになっている。これらもきっとお金持ちだろう。
 国が借金まみれで、消費税が遡上に上っている時にどうして宗教法人に税を課さないのか、というのが特集のテーマだ。
 もちろん、宗教法人だって、収益事業には税金がかかってくるが、駐車場や物品販売などの収益事業には軽減措置がある。
 もっとも異論もある。宗教施設や土地には課税されないが、宗教法人から給与をもらっている僧侶は所得税を払っている。巨大法人はともかく、小さなお寺はお寺を維持するのは精一杯で、多くの住職は教師や役人の給与で生活している。街道を歩いていると、お寺や神社を残してほしいと思う。
 だから一律に課税というのは乱暴だと思うが、お布施や賽銭が「浄財」なのか、サービス料なのか、全てのお寺が公益性があるのか、そういう議論さえしないというのは、宗教法人を支持基盤とする政治家の都合だとしか思えない。
 
# by kimagurebito | 2012-04-03 17:42 | 鎌倉街道 | Trackback | Comments(0)


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